私の人生と音楽

第13回「東京プロムナード.フィルハーモニカーの設立」

                              佐 藤  迪

 

 今回は東京プロムナード.フィルハーモニカー設立への思いと経緯を書いて

みたいと思います。

 打楽器奏者として活動する中で「音楽の考え方・方向性が合う演奏家」や

「音楽をお互いに認め合える仲間」が沢山出来ました。その様な「気心が知れた仲間」を中心に1989年6月にプロのオーケストラを組織し、プロ指揮者としての活動を開始しました。そのオーケストラの名称を「東京プロムナード・オーケストラ」(略称TPO)と名付けました。また当時、私の音楽を評価して色々と支援して頂いていた「板橋正博」さんに「指揮者として本格的に活動を始めら!!」と薦められ、199412月このオーケストラと共に正式に指揮者としてのデビュー・リサイタル「モーツァルトの夕べ」を開催する事になりました。同時に「佐藤迪の音楽活動を支援する会」として板橋さんを中心に『東京プロムナード協会』が設立されました。(第10回「音楽活動の広がり」参照)

 私は打楽器奏者として在京のほとんどのプロのオケにエキストラとして演奏に参加してきましたがその演奏で中々私自身が納得出来る演奏には出会えません。経験を積めば積むほど当時のプロオケの現状に不満を募らせていました。(その事が東京シティー・フィルを創団する事に繋がります。「第8回」参照)その様な中、指揮をする立場になって「自分自身が感じる音楽を表現する」には「自分で指揮をして音楽を創るしかない」と思う様になりました。アマチュアのオケの場合は団員個々の技術と表現はプロのオケの様には行きませんが、少なくとも音楽の方向は私が感じる音楽に向かう事が出来るのではないか、私自身の音楽を表現できる可能性があるのではないかと気が付いたのです。

 一方で、次の様な事も考える様になりました。

ウィーン・フィルやベルリン・フィルが世界最高のオケと呼ばれるには他のオケとは違う大きな特徴が有ります。ウィーン・フィルの場合は団員になるためには

ウィーン音楽院でウィーン・フィルの現役の団員から演奏の「いろは」を教わった者しか入団出来ないという事です。従って団員全員の音楽の語法が一致するという伝統を創り上げて来ました。また、ベルリン・フィルの場合はカラヤンの時代にカラヤンによって全ての事が管理されていて、音楽の正しい表現の仕方を徹底的に叩き込まれる事で高度な音楽表現とアンサンブルを創り上げていました。

 私はアマチュアであっても音楽の語法をキチンと整える(音楽を表現するために守るべきセオリーをキチンとトレーニングする)事で演奏者全員が同じ方向を向いて音楽に取り組む事が出来れば(ウィーンやベルリンとは比べられませんが)かなり音楽的に充実した演奏が実現出来ると信じる様になりました。

 

 その様な事を考える様になり、実際に多数のアマチュアオーケストラと関わる中で沢山の素晴らしいアマチュア演奏家の方々と出合いました。私の中に「私の考える音楽を良く解って下さる方々と一緒に音楽出来る場が欲しい」という夢が膨らんできました。そしてその様なオーケストラが出来たら、「プロムナード」(私の指揮活動のキーワード)と「フィルハーモニー」(仲間が集う)を合わせて「東京プロムナード・フィルハーモニカー」(略称TPP)という名称にしたいと考える様になりました。TPOのアマチュア版という訳です。

「プロムナード」という言葉は「散歩」という意味ですが、昔NHKのクラシック音楽番組で「プロムナードコンサート」いう番組が有り「気軽にクラシック音楽を楽しむ」がコンセプトの番組でした。この番組の様にクラシック音楽は堅苦しい物ではなく、素直に「しむ」事が一番大切だと思います。音楽の理論や

歴史の事は興味の有る人が勉強すれば良い事で「純粋に音楽そのものを肌で感じる」それで良いと思います。その様な意味で「プロムナード」を私の音楽のキー

ワードとして使用しています。

 

 その様な中2007年1月に板橋さんからも「そろそろ自分の音楽が出来るオケを創ったら!!」という助言が有り準備に入ったのですがオケを立ち上げるには色々な問題があり、先ずは弦楽アンサンブルからスタートしようという事になりました。私の以前からの知り合いの弦楽器奏者やヴァイオリン講師をしている妻の京子の関係の人達に声掛けし弦楽アンサンブルが結成されました。団体名を付けなければならないのですが中々決まりません。当時、我が家に駐車場に捨てられていたのを保護して育てた「ゴンベェ」という真っ白な猫がいて、「名無しの権兵衛じゃかわいそうだから」というのが名前の由来でした。同じ様に名前が決まらないこのアンサンブルを取り敢えず「ゴンベェ」と呼ぶ事になりました。活動を始めて間もなく我が家の「ゴンベェ」が急逝してしまい、メモリアルとしてこのアンサンブルを正式に「アンサンブル・ゴンベェ」とする事に決まりました。2008831日第1回定期演奏会を開催する運びとなりました。

 

「アンサンブル・ゴンベェ」が活動を始めた中、200711月以前から付き合いが会った知人から「新しいオケを作りたいので佐藤さん一緒にやりませんか?」との提案がありました。私としてはやはりシンフォニーが演奏できるオケをやりたいという気持ちが強く、一緒に新しいオケを作る決意をしました。当然、このオケの名称は「東京プロムナード.フィルハーモニカー」とする事とした。

2008年に入って改めて準備に入り、私の音楽に共感して下さるアマチュアの演奏家の皆さんにTPPの設立を目指している事を伝え「一緒に音楽しませんか?」と参加の呼びかけを始めました。メンバーの目処も立ち、9月に結成し活動を

開始、そして2009年2月に第1回定期演奏会を迎える事となりました。演奏会はアマチュアとしては良い結果となりました。

その後、メンバーの入れ替わりは有りますが、現在は団員も徐々に増え、編成的にも充実して来ました。また、「東京プロムナード協会」からのサポートもあり運営の面でも安定して来ました。演奏の面でも演奏会にご来場頂いた皆様から「回を重ねる毎に力を付けて来ている」と評価して頂けています。これからもより質の高い音楽を求めて精進して参りたいと思います。

 

次回は「東京プロムナード・フィルハーモニカーで目指している事」と題して、私の音楽に対する基本的な考え方等を少し詳しく書きたいと思います。

 

                                  佐 藤  迪

 

                         第13話  完   次回へ続く